“The Grapes of Wrath” と並ぶスタインベックの代表作。 筆者の故郷であるカリフォルニアのサリナスを舞台に,人間が人間たる所以とは何か,愛と憎しみとは一体何かということを描いた長編。
この長い物語を通じて筆者は,人間の自由な意思というものの大切さを伝えようとしていた。 人が長い人生の中で幾度か体験する “きらめきの瞬間” というのは,自由な心があってこそのものである。 この心のきらめきを抑圧したり,妨げようとするもの,あるいは自由な意思を潰したり,破壊したりしてしまうものは,それが国家であれ,宗教であれ,体制であれ,何であれ,断固として抵抗し闘うべきだ,と筆者は述べている。
スタインベックの物語の多くにおいて,その主題と平行して侮蔑感情だとか人種的偏見や差別というものが描かれている。
この物語ではリーという中国人召使が登場するのだが,彼に対する白人達の発言の随所に,あからさまな差別意識がみられる。 人間というのはもともと差別をする生き物なのだ,と言いたげな何ともえげつない描写が,またいかにもスタインベックらしい。 もちろん,世の中にはそういう先入観を抱かない人々もたくさんいる。
筆者はリーを通じて人間を観察し,彼の口を介して筆者の視点や考えを代弁させているのだが,彼を使ってひとつの実験も行っている。 物語の序盤で,リーをコテコテの中国訛りで話す人として登場させ,読者にそれなりの先入観を与えようとしている。 そして物語を通じて先入観や偏見みたいなものをどんどん破壊してゆき,最後には仲良しになった白人の娘にリーを抱擁させ,頬に接吻までさせる演出をする。 このとき読者の中でどういう変化があるのかについては,自分が実際に偏見を抱く立場に立ってみないとわからないかもしれない。
この小説の題名である 『エデンの東』 というのは,旧約聖書でカインが罪を背負って彷徨い生きてゆく場所のことだ。 筆者はカインとアベルの物語こそが,ありとあらゆる人間ドラマの原点だと語っている。
創世記の第4章にて,カインは神を愛するあまり,神に贔屓されていた弟のアベルを嫉妬し,彼を殺してしまう。 このとき人間は 『愛』 と 『憎しみ』 という感情を初めて体験するのだが,まさにここから人間の歴史が始まると言ってもいい。
カインが楽園から追放されるとき,ヘブライ語で書かれたオリジナルの聖書では神は “You may (~してよろしい)” という言葉を使うのだそうだ。 『~してもよい』 という言葉は命令ではなく,許可であり,意思を尊重して選択肢を与えんとする言葉だ。 つまり神はこのときに初めて人間の意思というものを尊重したことになる。 楽園を追放されたカインが自身の意思でもって罪を背負い彷徨いながら生きてゆくエデンの東・ノドの地とは,すなわち 『人が生きる世界』 ということなのだろう。
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4 週間前
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