解剖や実験のために動物を犠牲にすることに反対して,自らの名前を
“CutoutDissection.com”
というURLに変えてしまった女性がいるんだそうだ。
Woman changes name to a URL to protest dissections
実験のために動物を殺すのは,たしかに可哀想だ。 反対したくなる気持ちもわかる。
しかし,どんなに技術が進歩したとしても,動物を生かしたまま生命原理の本質を理解するなんてことは,まず不可能だろう。 食べるのと同様に,知を得るためにも時として人は動物を殺さなくてはならない。
『人はパンのみにて生きるにあらず』 とイエスが言ったという。 人間は肉体の欲求を満たすために生きているのでなく,心を養うために生きているということだ。 食っちゃ寝して生きるだけの存在ならば人間も他の動物と何ら変わりない。
人間の糧となる 『神の言葉』 とは 『知』 だと解釈している。 人は食べ物だけでなく,知を食べて生きる動物だ。 人間が他の動物と違う点は,強い 知的好奇心をもつということだし,知を満たそうとする欲求は,肉を生かすための欲求以上に大切なことだと思う。 食べるために動物を殺すことと,知識を得 るために動物を殺すことは,どちらも同じくらい重要だ。
動物の肉を調理して食べるときは,それなりの敬意をもって食べる。 殺された動物の筋肉や脂肪が私個人の生命のエネルギーとなり,肉棒,いや肉体となるからだ。
同様に,生物実験のために動物を解剖するときは,敬意をもって執刀する。 殺された動物の体のしくみや生理機能は私の知識となり,それが新たな知識を産 んで人類の英知となる。 個人の肉体は個人の肉体でしかないが,個人の知識は全人類の知識となりうる。 人にとって知というものは,肉よりも大切なものだ と思う。
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