2008年2月12日火曜日

バラク・オバマ氏の演説 (2月12日 @ウィスコンシン大学, マディスン)

 『希望とは,盲目な夢のことでない』
 『希望とは,簡単に手に入る夢のことではない』
 『希望とは,困難に立ち向かうことだ』

 オバマ氏の演説はすばらしい。
 心酔してしまった。

 


 米大統領選 広がる「オバマ旋風」 集会はどこも超満員
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080213-00000001-maip-int

 首都圏決戦はオバマ氏勝利、代議員数でも逆転
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080213-00000015-yom-int

 
 追記:
 オバマ氏希望とか未来を強調しているのに対し, 共和党のマケイン氏の主張には,かつてマイケル・ムーアその映画で指摘してきているとおり,常に対外恐怖感が基調になっている。 そして何よりマケイン氏のスピーチは,暗く,覇気が無い

 クリントン氏の掲げる主張はオバマ氏とは多少違うが,目指すところは一緒だ。 彼女の真正面から問題に向き合う姿勢も,明るいスピーチも大変好感がもてるものだ。
 ただ,オバマ氏との決定的な違いは,自分が  『有能な事務処理者』 であることが主張の基調になっている点だろう。

Rambo (2008, ランボー・最後の戦場)

 スタローン脚本・監督・主演作品のランボー最新作 (ランボー4) を観てきた。
 あれだけクソミソに書いた以上は,見なければならない。

 予想どおりの内容であったが,斜に構えなければ,結構面白かった。
 スタローンは,監督としても脚本家としても,決して悪くない。
 銃撃戦のブレたような緊迫した映像は,ちょっとプライベート・ライアンの二番煎じ的な面もあるが,それはあの映画が傑出しているからなのであり,それはしょうが無い。

 殺るか,殺られるかの手に汗握るスリリングな展開の中,アメリカ人を救出するべく立ち上がったジョン・ランボーの大活躍であった。 ただ,ターミネーター2のシュワちゃん同様, 『ランボーなら,絶対に大丈夫!』 という気分があるために,緊迫感の中にも妙な安心感は常にあったのは否めない。

 無口でクールで朴念仁なジョン・ランボーは,口達者で理想を言ってばかりのインテリ・アメリカ人を一喝して,

 『ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ! こうやるんでぇ!』 

 と言わんばかりに,無言であっという間に問題を解決してしまう。 “問題解決” とは,すなわち, “悪者は皆殺しの刑” というものだ。 実に単純明快で,わかりやすい。
 男の中の男なら,この映画をみれば戦争に行きたくなるであろう。
 十代の私なら,きっと感化されたに違いない。


 斜に構えれば,文句はいくらでもある。
 いちいち書くのも,もう面倒だが。

 舞台はミャンマーだが,こういう善と悪がくっきり明瞭な情勢には,この手の映画製作者が飛びつきたがるのは言うまでもない。 序盤でミャンマーでの本物の映像が断片的に使われていたが,カメラマンの長井さんが撃たれたシーンも含まれていたように思う。 これは5月に日本で公開されたときに物議をかもしだすのではないかと思うが,どうであろう。


 悪いミャンマー人と良いミャンマー人がいて,良い方 (英語を話す方) だけに人格を与えているのは,昔のベトナム戦争映画と一緒だ。 悪い奴らは醜く下品で非人間的に描かれているので,殺傷することに罪悪感を感じさせない。 要するに,悪いミャンマー人をランボーが片っ端から殺戮するというのが,この映画の主旨だ。
 もちろん,人質救出という名分があるのだが。


 ラストは,ランボーが故郷の牧場に帰るシーン。
 それはアメリカ国内の豊かさと平安, “Home, Sweet Home” を象徴したかのような景色である。 外国の国土や人々をあれだけ目茶目茶にしておいて,虫がいい話だな,と思ってしまう。
 圧倒的な軍事力のアメリカが “悪の枢軸” に制裁を与え,世界の平和を維持すべきだ,と本気で考えている一部の共和党支持な人達にしてみれば,そこはまさしく “GOD BLESS AMERICA~♪” と歌いたくなるようなアメリカ母国の平和を象徴する景色であった。 


 
 映画を観た後で,ふと思ったのだが,こういう映画で 『人を救う』 というのは,それはすなわち 『囚われになったアメリカ人を救出すること』 である。 これに対して,圧政に苦しむかよわきミャンマーの人たちを助けようとする精神というのは,人間を救出するというよりも,むしろ, 『可愛そうな野生動物を救ってあげよう』 とする精神に近いんじゃなかろうか,という気がした。 一言で言えば,大変おこがましい。
 もちろん実際に命を削って救援や取材活動を行っている人々のことを言っているのではない。


 <ランボー>最新作、ミャンマーで上映禁止…海賊版が人気
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080207-00000072-mai-int
 
 『ランボー 最後の戦場』ヒロインが激白!スタローンは「常にベストを尽くせ!」と喝!
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080201-00000020-flix-movi

 
スタローンの台詞を聴きとるのが,すごく困難でした。
 
 「うぇどぶぇ どぅれぶ どれどぶ・・・」

“ランボー4” の援護

 前回のレビューがあまりにうわべだけの批判ばかりになってしまっていたので,少し訂正したい。

 戦いが終った後のランボーの複雑な表情が,一体何だったのか考えていた。

 映画の中で,ランボーは好き好んでミャンマー人に制裁を与えようとして殺戮したのでなく,あくまでも捕虜にされたアメリカ人グループを救出するためのものであった。
 また,ああでもしないと自分が殺されてしまう。

 ボランティアでミャンマーへ救済に来たアメリカ人に向かってランボー何度も何度も言う。

 『あなた達がいくら頑張っても何も変えることは出来ない』

 『アメリカ人はアメリカに帰れ』

 アメリカ人が他国の内政に干渉したところで決して良い方向に動くものではない,助けるつもりで,結局,血で血を洗うような争いをひき起こすだけなのだ,ということを言いたかったのか,ということに気づいた。

 それがランボーの大暴れと,最後に見せた悲しげな視線だったのだとすれば,この映画の意味するものがやっと理解できた気がする。

 それにしても映画のダシにされたミャンマーの人々こそ,いい面の皮であることに変わりは無い。