宗教と科学が互いに相容れないものだと考えている人が多いような気がする。
それは,宗教と科学のどちらかをあまり理解していないからだと思う。
科学というのは,事実と論理で成立するのだから,宗教や国籍,文化風習に関係なく,論理や数式を理解しさえすれば誰もが参加できるものだ。 つまり,誰に対しても正しいものだ。
ただし,科学が万能である,というわけではない。 この世で科学的に解明されていることなんて,ごくわずかなんじゃなかろうか。 あくまでわかっている範囲で正しいと言っているだけのことであって,わからないことは,わからない,ということを忘れてはならない。
たとえば 「宇宙人がいるという証拠が無いから,宇宙人なんて存在しないんだ」 というようなリクツを言って,あたかも科学の信奉者であるかのようにふるまう人がいるが,それは間違っている。
証拠が無いことに対しては, YES とか NO という決断は下せない。 “わからない” としか言いようがない。
「幽霊はいるか?」 と訊かれれば, 私自身ならば脳のはたらきで幽霊がみえたりするんじゃないかと推察するけれど,本当に幽霊がいるのかどうかは, 「わからない」 としか言いようがない。
北朝鮮と日本の 「遺骨問題」 なんて,格好の例だ。
日本側は, 「DNA鑑定の結果,横田さんの遺骨であるという証拠が得られなかった。 だからこれは横田さんの遺骨ではない」 と言っていた。
が,これは大きな間違いである。
証拠が出ないものは,わからない,としか言いようが無いのであって,そこから否定的な結論を下すことは出来ない。
日本側は北朝鮮に対して圧倒的な科学力の差を見せ付けることで,交渉を有利に進めようという意図があったようだが,むしろ,日本のマスコミも日本の政治関 係者も,あるいは自称・世界最高水準の研究機関も,科学や論理的思考というものに疎いということを世界に宣伝しただけに終わったように思う。
これに対し宗教というものは,一言でいえば人がもつ体系化された信念みたいなもので,科学が到達しえない領域での物の見方や,考え方,モラルや生きる指針となるものだ。 それを真理と呼べるなら,そうかもしれない。
私自身のことを言えば,私は神様はいると思っているし,いつも神様の視線を気にしながら生きている。
科学の法則は人が存在しなくとも成立するけど,宗教は人の心がなければ存在しえない。 民族や文化によって信じるものが違ってくるのは当然だし,個人個人でもずいぶん違うと思う。 全人類において絶対的に正しい宗教などというものは存在しえないはずだ。
人類を一個人にたとえたならば,宗教というのは問答無用の親のしつけみたいなものであり,科学はその人が長い人生で自分自身で経験して学んだものだ,ともいえる。
ところが,宗教の中には,科学の名を語るものがあったり,科学の分野に執拗に干渉してくるものがあったりする。
『科学が誰に対しても正しい』 ということや, 『科学は万能であるという誤解』 をうまく利用して,結局のところひとつの思想や宗教が絶対的に正しいのだ,と言わんとしているかのようだ。
私はそういうのはかなりの悪だと思っている。 科学も宗教も本質をよく理解していないくせに,両者についてワカッタようなフリをしており,それでもって人々の考えを画一化させたいだけの,レベルの低いくだらない発想だと私は思っている。
いつまでも子離れできない親よりタチが悪い。
4 週間前